X(Twitter)は現世の地獄

最近のXの荒れ様は凄まじいものがある。僕のタイムラインだけなのかもしれないが、アプリを起動すると男女差別、障害者差別、外国人差別なんでもござれの状態だ。

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↑広島 宮島のたぬき。特に意味はない。

何故荒れるのか

自分なりに考えてみたが、大体この様な原因があるのではないだろうか。

「受け手」を想定してポストしていないから。

「受け手」とは会話のキャッチボールの相手のこと。通常の会話では必ず「受け手」がいて、その人の気持ちを想像して発言をする。しかしXではみんなが頭に浮かんだことをそのまま放流してしまい、それらがなまじ会話の形をとってしまうため、地獄絵図の様な状態になっているのではないか。幼稚園児でも相手の感情を想像して発言すると思う。もはや便所の落書き以下である。

過激な意見は注目を浴びやすいから。

たくさんの「いいね」を集めているのは大概強い言葉で書かれたポストである。当然と言えばそうだが、過激な意見は衆目を集める。そして「いいね」やリポストされることにより、さらにTLに表示されやすくなる。

アルゴリズムの変更

イーロン・マスク氏がアルゴリズムを変更し、過激なポストの取り締まりが緩くなり、差別的ポストが増加したという報道がある。

基本的にイーロンマスク氏は好きなのだが、少し幼稚だなと思うところもある。

そもそも頭のおかしい人たちが多いから。

この要因が一番大きい。頭がおかしいとしか思えない人が多すぎる。文字は読めても文章は読めない人が多い。

対策

 

 

X(Twitter)を辞めよう!!

 

 

これに尽きる。Xをやってて得られるものなんて殆どない。さっさと辞めてしまうのが最善策だ。

でも実際のところ僕は、「好きな界隈の最新情報をキャッチするため」という理由づけをしてだらだらと続けてしまっている。

僕もいつかは辞めないといけないと思っている。いつかは。

 

社会は多様性に不寛容な人々に対しても寛容であるべきか 「寛容のパラドックス」

最近、よく目にする言説があります。それは、

多様性が大事だというなら、多様性を拒否する意見も認めるべきだ。

というもの。

具体的には、「多様性は担保されるべきというならば、◯◯は頭がおかしい、気色悪い、病気だ、というという意見も許容すべきだ。」など。

寛容のパラドックス

このような意見は、イギリスの哲学者ポパーが提唱した、「寛容のパラドックス」が危惧していることを体現していますね。

「寛容のパラドックス」とは、さまざまなものに寛容であることを重視し、不寛容な人々にも寛容になると、その人々に寛容性が奪われたり、破壊されたりするという逆説的な考えのことです。

それについてポパーは、「寛容な社会を維持するためには、寛容な社会は不寛容に不寛容であらねばならない」と結論づけました。また、「不寛容な言動に対しては、言論によって不寛容である権利を要求すべきだ」とも主張しています。

所見

さて、これからは個人的な意見ですが冒頭のような言説は詭弁であると思います。なぜなら、どちらに転んでも差別的な言動を許すことになる屁理屈であるからです。

  • 多様性を重んじるならば、多様性を認めない差別的な言動に対しても多様性として寛容になるべきだ。つまり差別的な言動は許される。
  • 多様性を重んじないならば、差別的な言動は許される。

というように。(おそらくこの説明も既知のものではあると思います。)

まあ彼らが冒頭のように発言するのはホモフォビアに起因している可能性も高いと思いますが。

書きたいことはまだあるのですが、そろそろ眠くなってきたのでこれくらいにしておきます。

さようなら。

 

江の島に行きたい。行かせてくれ。

江の島に行きたいです。

最近自分の中で一人旅行きたい欲が高まっています。

江の島に行きたいと思ったのは、推しジャンルの映画(まだ公開されていない)の舞台が江の島っぽいっていうのと、単純に“青春”感じてぇーと思ったからです。

僕が居住してるのは日本列島の端も端なので、なかなか交通手段に悩むところですね。青春18きっぷとやらを使ってみたいんですが、流石に初陣で1000キロ超を移動するのもなあと思っています(めちゃくちゃきついらしいし。)。かといってLCCや新幹線を使うのも、浪漫に欠けるというかなんというか。

宿泊は夜行バスやビジネスホテル等を利用しようと考えてます。野宿もしてみたいと思ったんですが、諸般の事情で断念しました。

予算は最大5万円ほどを考えているので、結構ギリギリになりそうですね。

他に寄りたい場所は京都、東京とかなんですが、混雑の状況を鑑みて時期を決めないと辛いことになるだろうから、やはりもう少し周到に調べる必要がありますね。

まあこういうのは考えてるのが楽しいので、もう少しゆっくり考えたいと思ってます。

ベネッセ鉄緑会東大模試を受験した感想など

ベネッセ鉄緑会東大模試とは

中高一貫生の中3向けで、母集団が実際の入試に近いことが売りの模試です。中3で東大模試?って感じもしますが、附設の方も多くて確かに立ち位置を把握するのにいいかなと思いました。なぜか同じクラスの退学スレスレのやつも受けてたけど。

受験前

最寄の会場が福岡だったので、車で移動しました。一応数IAの復習をしてから臨もうかなあと思っていたのですが、結局ほぼ何もせずいきなり半年くらい触れてない内容に挑むこととなりました。(担任に過去問をもらってざっと解いてみたりはしました。)

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到着するや否や同級生に会い、なんとも言えない気分になりました。東大模試というだけあって我が校が誇る天才達が来るのかと思っていたら、学年1位2位を争ってる女子が1人来てたくらいで、めちゃくちゃ頭いいメンツが来ていたわけではありませんでした。(中1の一番最初に退学した子もいました。)

余談なんですが、やはり福岡って都会だなあと思いました。地元も言うて田舎なわけではないですが、如何わしい街宣車が走っていると言う点で圧倒的な差があると感じました。多分錯覚ですが、男女ともに容姿端麗な人が多いと感じました。

いざ勝負

B判とれたらいいなと思って結構気楽に構えていたのですが、ちょっと難しいなという感触でした。時間割はこんな感じ。

国語(80分)

英語(90分)

昼食

学力リサーチ

数学(120分)

≪国語≫

特筆すべきなのは、3題の漢字書き取り問題を除いて全て記述式の出題だったことですね。東大本番の出題を意識してのことなのでしょう。古文漢文が出ると思っていた僕としてはなんとなく拍子抜けでしたね。

大問は2つでどちらも論説文でした。第一問から解き始めたのですが、語り口があまり気に入らずスンッとなりました。最近の世の中には「きごころ」がないよねっていう内容だと理解したのですが、主張はともかく個人的なにはあまり好きではない文体でした。第一問は頻出ではあるクオリアについての文章でした。

感触としては悪くなかったのですが、第2問で少し時間を使いすぎたので第一問が少しだけ時間がきつくなってしまいましたね。

≪英語≫

国語と並んで僕の得意教科であるはずの英語ですが、普段ほとんど力を入れてないことが祟り、かなり単語で苦労しました。故に時間も少し足りず、大問5を半分残して試験時間終了となりました。

とにかく読む量が多いというのが印象で、普段から英語に親しむ必要があるなと思いました。

≪昼休憩≫

事前にコンビニで買っていたご飯を食べました。

アクシデントというには些細なことですが、冒頭でも言及したすごい頭良ガールのAさんが財布を忘れたらしいので念の為に持ってきていたお金を貸しました。普段物を忘れて貸してもらう方の人間である僕がしっかり者(僕の勝手なイメージかもしれない)のAさんにお金を貸すのも可笑しい話だなぁと思いました。A さんはお釣りと一緒にマフィンみたいなのをくれたんですが、本当にお腹いっぱいだったしなんとなく申し訳なかったので断ってしまいました。好意は素直に受け取るべきだったなあと後になって少し反省しました。でも、このマフィンを僕が貸したお金で買ってきてくれたと考えると、ちょっとおかしくないですか?

≪学力リサーチ≫

特に書くことはないのですが、内容はよくある「一日何時間勉強してますか」とか「苦手な教科は何ですか」なのに、普通にテストのように時間制限があって少し驚きました。一回解答欄がずれてしまいかなり試験時間がギリギリだったので、少しヒヤヒヤしましたね。

≪数学≫

ようやく一番苦手とする数学となるわけですが、試験時間の長いこと長いこと。120分間の試験中、集中力が途切れることはありませんでしたが、終わった後は脳がしわっしわになりました。これからは長時間の試験も増えてくると思うので、早いうちに慣れておきたいなと思いました。

他の教科と同じくほとんどが記述式の問題でした。普段からあまり問題を解いていなかったので、詳しく記述しすぎてしまったかなと思いました。やはり数学をそろそろちゃんと勉強しなくてはと反省しましたね。

ようやく解放

終わった後はとにかく脳みそが疲れていて、一刻も早く糖分を摂取したかったですね。

帰宅途中で泡系豚骨ラーメンを食べました。美味しかったです。

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時間の流れを考える時の図

2023年が終わるらしい

僕がXでフォローしているProgress Bar 2023(@ProgressBar202_)が「2023 is 96% complete.」という投稿をしていた。名前の通り2023年が何%終わったかを投稿するアカウントなのだが、それにしても一年は早いなあと思った。(前回は自己紹介的な意味合いが強い記事だったから「です」「ます」調で書いたが、今回からは「で」「ある」調で書く。)

どうやって時間の流れを考えるか

僕は一年かそこらの時の流れを楕円状でドーナツ型の図で考える癖がある。一方、数年から数十年、数百年単位では、地層のような形の図で考えることが多い。多分幼稚園の頃からそうだったと思う。これだけ言ってもわからない人も多いだろうから、できる範囲で紙に書いて具現化してみた。

f:id:safe_seifu:20231218230622j:image真ん中の図の一番左に位置する数字が読みにくいが、「2045とか」

100%頭の中を表現できたとは言えないが、こんな感じ。

便宜上平面図で示したが、感覚としては立体に近く、少し角度を変えて見ることができる。

「一年カレンダー」

上の図、一年カレンダーは見ての通り色ごとに特定の色がついていて(限られた色鉛筆ではそのまま表現することは難しかった)、それぞれの月の面積は均等ではない。3月と4月の間には微妙な空間の隔たりがあり、年度の境目が反映されたものだろうと思う。図では真ん中に穴を書いたが、実際は内側はグラデーションになっていて、はっきりとした境目はないようなイメージ。◯月下旬、などのもう細かい規模の予定も、大抵この図で考える。これを書いている途中で気づいたが、過去もしくは遠い未来のある1年間(例えば1945年)をこの図を使ってイメージする時、白黒になっている。現在に近づけば近づくほどカラーになっていくようだ。

話は逸れるが、僕には7割くらいの単語・文字に色のイメージを結びつける癖もある。例えば、

  • 」は緑
  • ペン」は青
  • 」は赤 

というように。というか、そもそもこれが原因でこのカレンダーにも色がついているのかもしれない。普段読み書きする時は滅多に想起されることは無い。

 

「数十年・数百年カレンダー」

真ん中・下の図、数十から数百年カレンダーは無色で、これまた年ごとの「地層」の幅は一定ではない。傾斜がついていて、2000年から現在に近い範囲では平面、それより未来や2000-1900年の範囲では左上がりになっている。1900年以前は基本的に平面である。おそらくこれらには、◯◯世紀という概念が影響しているのだろう。また、1945年以降と以前、すなわち戦前と戦後ではなんらかの隔たり、境界が感じられる。先ほども述べたように、視点はある程度変えられるので数十年後未来を考える時は大抵、垂直な壁のイメージとなる。

20-30年程度では下の図にようになり、より詳細に西暦がイメージされる感覚。現在地点より未来になると、ブロック状になっていた「地層」が、川に流れる筏のようにが横向きになっていく。

 

少しはイメージしやすくなっただろうか。もし同じように考えてるよ、という方がいたら嬉しい。

 

終わりに

みんな無意識に時間の流れを直線で考えがちだが、ある一瞬の連続であると捉えれば、直線で捉えるのは誤りと言えるだろう。直線上を移動して過去のことを思い出しているつもりでも、実際は今この瞬間にある過去の痕跡をなぞっているだけなのかもしれない。まあ、こんなことはおそらくすでに論じ尽くされているテーマだとは思う。

ともかく、2023年はあと10日くらいで終わる。2023年は自分としても結構いい年だったんじゃないか、と思っている。図らずとも、「最初」を扱った記事の次の記事が「終わり」に関連したものとなった。もちろん偶然。

それにしても一年が過ぎるのは早い。1日が過ぎるのも早い。日付も変わったし、眠たくなって来たので、記念すべき二つ目の記事はこれくらいにしておく。それでは。

 

 

いちばん初めの記事

こんにちは。

いちばん初めの記事というとどうも気負ってしまいがちです。いちばん初めの記事というのは言い換えてみればいちばん古い記事とも言い換えられそうですが、これを書いている時点でこれはいちばん新しい記事でもあるのは少し可笑しい気がしますね。

実を言うとこれまでにも何度か、Tumblrやらamebloだとかをしてみたことはあるので、いちばん初めての記事というのは幾らかの語弊があるかもしれません。それらを辞めてしまっているのも僕の飽きっぽい性格が出ているなあと思います。

このn番目となるブログを始めようと思ったのは友人のブログを見て触発されたという経緯があります。彼のブログでは数学やプログラミングの解説をしているようですが、僕は特にそのような方面に秀でている訳ではありません。だからこのブログは、単に思ったことを書き連ねるだけのものとなるのだろうと思います。

また、このブログの名前「リリカル、ヒート・ヘイズ、Cookie•Boast•Lily」を決めるにあたって、4人の友達に協力してもらいました。ありがとう。特に取り立てて意図のない単語の羅列ですが、結構気に入っています。

ここまで書いて気づいたのですが、もうこの時点ですでに気取っていて鼻につく文章になってしまってます。実を言うと今僕がいちばん恐れているのは、いわゆる痛い文章を書いてしまうことです。まあ今までの短い人生でも数多の醜態を晒してきて、毎日夜な夜な悶絶している自分なので多分そうすること自体無駄なのかもしれません。

そろそろ眠たくなって来ました。あまり長々と書いても次書くときの自分を困らせるだけだろうから、これくらいにしておきます。それでは。