短文n個 vol.2
1.
世の中には無数の評価基準があり、それらが示す至高のものは必ずしも同一ではない。
2.
なんとなく真夏は8月中旬だと思っているので、夏至が6月21日なのには違和感を覚える。
3.
スウェットとかパーカーより、シャツが好きだ。
4.
知っておくべき著名人を知らない(人と比べてどうかはわからない,絶対的な話だ)ので、多分僕はテレビ•スターにはなれない。
5.
みんなに嫌われがちなもの:ポリコレ(ポリティカル•コレクトネス)、古文•漢文、数学、失敗、リア充、人間、コムドットやまと、イーロン•マスク
6.
西瓜を器用にナイフだけで食べる女の子がいて欲しい。
7.
黒子のバスケを読んでバスケをしたくなった。村上春樹の本を読んでプールに行きたくなった。つまりそういう人間なのだ。
8.
完璧なチャーハンなどといったものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね。
8'.
完璧な顔面などといったものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね。
9.
自分が世界をどの様に知覚しているか、といったものごとは他人と共有されることがないため、自分が異常あるいは正常であると自覚的になることは非常に難しい。
10.
人間は多くの側面を持っている、というのは云うのも憚られるほどよく聞く言葉だが、とても真理をついてると思う。
11.
羞恥心に苛まれて二進も三進もいかない時がよくある。
12.
途切れ途切れのAM放送を聞く様に
高総体
ありきたりで、後から読み返すと恥ずかしくなってしまいそうな感想なんですが、もっと先輩と部活したかったなと思いました。S(E)先輩も、T先輩も、O先輩も僕が出会ってきた人間の中で最も人格者で、優秀な人でした。他の先輩たちも部活に真摯な人ばかりでした。もちろん、それは僕という1人の人間から見た感想であり、その裏には数多の葛藤や綻びがあったはずです。とはいえ、僕からすると先輩たちは限りなく100%に近い人物でした。小学生の頃から知っていた先輩もいました。
最近時の流れは早いなと痛感するばかりですね。無為なことで人生を浪費しない様にしたい。とにかく、もっと部活頑張ります。

短文n個 vol.1
1.
テトラポッドが好きになりつつある。半ば本気で買おうとした。
実はかなり高い。
2.
空気が読めない人間と暮らすのはかなりきつい。
《中略》
だから詳しくは書かない。
3.
それをすれば幸せになるとわかっていても、なかなか実行できない物事はあると惟う。
ex.読書とか筋トレ
4.
ある類の虚しさは、しばしば素晴らしいと思えた会話の後に訪れる。
5.
最近、自分はかなりラッキーだと感じている。生まれつき歯並びがいいところだとか。
6.
不意に言語化できない様な(素晴らしい感覚にさせる)何かが頭の中を通り過ぎる。本当に何なのかがわからない。夏っぽい感じがする。
7.
言われ尽くしていることだが、自分のことを客観視をすることは非常に難しいと惟う。多分不可能と言ってもいいくらいだ。
8.
頭いいフリをするのに効果的な道具→IQ、哲学、相対性理論、ヨウジヤマモト、えんぴつ、など。
9.
その時いいと感じたものでも、後でみると陳腐に見えることばかりだ。
10.
いかに努力を見せないか、という努力をしている。
11.
基本的に(あるものごとの)「当事者」にならなければ、それに関して本気で考えることは難しいと惟う。
12(あるいは12).
PREP法って良くないと惟うんです。
なぜなら、伝えられる文章に(自然にそこに生まれるべき)文脈が生まれないからです。
例えば、自分の人生がどの様なものであるかを説明する時、PREP法を使ったら何かが失われてしまう様な気がしませんか。
こういうわけで、PREP法はあまり使わないほうがいいと惟うんです。
13.
フィジーのひとびとは本当に幸せなのか?
村上春樹を読み始めた
最近村上春樹作品を読んでいます。1Q84を半年ほど前に読んだきり、他の作品は読んでいなかったのですが、学校の図書館に平置きしてあった「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を見たことで読み始めました。
読んだのは
全体的な印象としては、音楽をモチーフにすることや、メタファーの多さ(ある物事に別の抽象的な何かを内包させる)、文の巧みさ、描写の丁寧さ、性描写の多さが身に付きました。
幅広い分野への造詣があり、様々なトピックが散りばめられているので、長編でも飽きることはないです。
今まで読んだ中では「色彩〜」がお気に入り。
キャラクターで言えば、免色渉がお気に入り
音楽が出てくるところは、伊坂幸太郎に似ているかもと思いました。
もちろん素晴らしい作家さんだと思いましたが、なぜここまでの人気を誇っているのかはままうまく理解できていません。もう少し作品を読む必要があるかもしれません。
ちなみに、村上春樹はミコノス島に住んで執筆していたことがあるらしい。偶然にも(?)今のアイコンとヘッダーはミコノス島で撮った景色です。
X(Twitter)は現世の地獄
最近のXの荒れ様は凄まじいものがある。僕のタイムラインだけなのかもしれないが、アプリを起動すると男女差別、障害者差別、外国人差別なんでもござれの状態だ。

↑広島 宮島のたぬき。特に意味はない。
何故荒れるのか
自分なりに考えてみたが、大体この様な原因があるのではないだろうか。
「受け手」を想定してポストしていないから。
「受け手」とは会話のキャッチボールの相手のこと。通常の会話では必ず「受け手」がいて、その人の気持ちを想像して発言をする。しかしXではみんなが頭に浮かんだことをそのまま放流してしまい、それらがなまじ会話の形をとってしまうため、地獄絵図の様な状態になっているのではないか。幼稚園児でも相手の感情を想像して発言すると思う。もはや便所の落書き以下である。
過激な意見は注目を浴びやすいから。
たくさんの「いいね」を集めているのは大概強い言葉で書かれたポストである。当然と言えばそうだが、過激な意見は衆目を集める。そして「いいね」やリポストされることにより、さらにTLに表示されやすくなる。
アルゴリズムの変更
イーロン・マスク氏がアルゴリズムを変更し、過激なポストの取り締まりが緩くなり、差別的ポストが増加したという報道がある。
基本的にイーロンマスク氏は好きなのだが、少し幼稚だなと思うところもある。
そもそも頭のおかしい人たちが多いから。
この要因が一番大きい。頭がおかしいとしか思えない人が多すぎる。文字は読めても文章は読めない人が多い。
対策
X(Twitter)を辞めよう!!
これに尽きる。Xをやってて得られるものなんて殆どない。さっさと辞めてしまうのが最善策だ。
でも実際のところ僕は、「好きな界隈の最新情報をキャッチするため」という理由づけをしてだらだらと続けてしまっている。
僕もいつかは辞めないといけないと思っている。いつかは。
中学校を卒業しました。
本日中学校を卒業いたしました。
思えば色々なことがありました。
こうやって人生は過ぎていくんんだなあと思い少し悲しくなりました。
高校からも頑張ります。
社会は多様性に不寛容な人々に対しても寛容であるべきか 「寛容のパラドックス」
最近、よく目にする言説があります。それは、
多様性が大事だというなら、多様性を拒否する意見も認めるべきだ。
というもの。
具体的には、「多様性は担保されるべきというならば、◯◯は頭がおかしい、気色悪い、病気だ、というという意見も許容すべきだ。」など。
寛容のパラドックス
このような意見は、イギリスの哲学者ポパーが提唱した、「寛容のパラドックス」が危惧していることを体現していますね。
「寛容のパラドックス」とは、さまざまなものに寛容であることを重視し、不寛容な人々にも寛容になると、その人々に寛容性が奪われたり、破壊されたりするという逆説的な考えのことです。
それについてポパーは、「寛容な社会を維持するためには、寛容な社会は不寛容に不寛容であらねばならない」と結論づけました。また、「不寛容な言動に対しては、言論によって不寛容である権利を要求すべきだ」とも主張しています。
所見
さて、これからは個人的な意見ですが冒頭のような言説は詭弁であると思います。なぜなら、どちらに転んでも差別的な言動を許すことになる屁理屈であるからです。
- 多様性を重んじるならば、多様性を認めない差別的な言動に対しても多様性として寛容になるべきだ。つまり差別的な言動は許される。
- 多様性を重んじないならば、差別的な言動は許される。
というように。(おそらくこの説明も既知のものではあると思います。)
まあ彼らが冒頭のように発言するのはホモフォビアに起因している可能性も高いと思いますが。
書きたいことはまだあるのですが、そろそろ眠くなってきたのでこれくらいにしておきます。
さようなら。